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過剰適応症候群??

日本人って良いですよね・・・。

同胞ですから当然と言えば当然ですが・・・。色々な表現やニュアンスも「阿吽の呼吸」で通じますし・・。同じような体験・・文化の中にいますから心情も理解しやすく・・・日本は良いです・・・。

しかし、一方で先日のAsian Strange Fruitでも書きましたが、日本って世界のスタンダードから見ると案外・・孤児?なのではないか?という危惧もあります。何が原因してこんなに色々問題?が生じているのかなあと残念に感じます。

で、最近、小生が勝手に考えている仮説があります。
日本は過剰適応の風土?文化であると・・・。

20050921_01.jpg

これに似た言葉では、開発の話で過剰性と感動・・・を先日、書きましたが、「これでもかの過剰性」「ここまでやるか」の先に生まれるお客様の感動とは、今回はちょっと意味が違います。

ここでの過剰適応は、日本人って何らかの負荷があった時、かなり苦しんで悩んだ末の結論でも、一旦それを受け入れると腹を決めると、真面目さ、真剣さのあまりアイデンティティー・自分らしさや、ある種の頑固さを失ってまで、環境や役割、立場などに過剰に適応してしまうのではないか?と言うことなのです。

適応が上手なのは、もちろん美徳でもあるとは思うのですが・・・やはりバランス感覚が大切だ・・・とも思うのです。

なんとなく、そんな感じがしていたのですが、小生の着眼点などを並べてみますと、どうお感じになるでしょうか?

まず食生活の変化・・・。和洋折衷とは言いますが、日本の食・・・本当にフュージョンしてます。

何でも受け入れています。小生の愚息等、いったい何人だ?と言うように、マックとか・・ラーメンとかを好物に挙げます。お新香と味噌汁が日本の食とは言いませんが、イタリア料理、中華料理などと比べても、アイデンティティー・ロスト(identity lost)・・こう言う英語あるかどうか知りませんが・・・・そう言う感じがします。

我々には外国から来た食べ物に適応するだけでなく、自国のアレンジを加え、例えば「日本のラーメン文化」・・にまでしてしまったり、カトゥレット?を日本の「とんかつ」にしてしまう程の、どうせやるなら徹底する・・・単なる許容や適応・・・を超える「こなしてしまう」凄い能力もあるように思います。

もしかすると今後、純粋な和食は、特別な時に食べるもの・・・になりつつあるのかも知れません。

終戦後はどうだったでしょうか?

日本の敗戦の頃、駐留米軍に、戦時中のキーワードでは「鬼畜」と言う凄い表現が付けられていたはずの米兵に、「ギヴ・ミー・チョコレート・・・」と言った少年たちは、本当に彼らに対する憎悪があったでしょうか。

憎悪があっても「敗戦」を受け入れていたのかもしれません。米兵も意外なほど抵抗もなく統治がしやすいことに驚いていたりして・・・?!現在でも、敵国だったって言う印象・・・ありますでしょうか?

敵意どころか、白くて背が高い人・・・これがかっこ良い?という感覚で「見上げる目線で見て」いなかったでしょうか?敵国だった国に「正義」を感じ、憧れを抱いていませんでしたでしょうか?

何も悪印象を持ち続けろという趣旨の事ではなく、こう言う日本人のやや特異?な性質を考えています。やることが決まり「腹がくくれる」と突進すると言いますか、目標に向かって真剣で、忠実で、己を捨ててでもやるような適応の徹底振りを感じます。

戦後で言えば、何しろ生き残る。何が何でも復興するという決心で、反米云々より「頑張ること」に無心だったのかも知れないな・・・とそんな風に思います。

良い意味で『日本の集中力』って凄いとも思うのです。

目標に純粋な民族と言う「言い換え」もできるかもしれません。

戦後のイラクの状況などを見ると、当時の日本の統治はしやすかったのでは?と感じたりします。

IVYルックなどとアメリカン・トラディショナルの(IVYリーグの大学出身者が好むような)スーツを着たり・・・アメリカのキャンパス・ライフが最高の憧れだったり・・・。

アメリカの格好よさの模倣をしたりは枚挙に暇なしで・・・。

江戸時代、明治時代にこう言う憧憬がありましたでしょうか?欧米列強のアジアに対する植民地支配を免れるため、急速に国力を発展させ、日本を守ってきた・・・。この頃は、相当日本が輝いていたのでは?と思います。

翻って今日、今の若者たちは、原爆を落とした米国が、今のアメリカと同じ国だ・・・変な言い方ですが、あえて言いますと・・・そう言う感覚があるのでしょうか?

かく言う小生もそうなんです。戦後の生まれだから普通かもしれませんが、日常の生活では、アメリカが敵国だった意識や感覚はほとんどないのです。歴史の知識として言われれば当然「かつては・・・」と答えますが、どちらかと言うと、憧れのアメリカだったと思います。米国の製品は、あこがれの「舶来」の代表でもありましたから・・・。

環境の変化や敗戦を受け入れ、何しろ生きていくことを選択したとも思いますし。それは正しかったと思うのですが、改めて考えますと、引き換えに何かを失ってしまった。そして、過剰適応の能力を発揮し始めたような気もするのです。

日本が復興し立ち直る時、形振りなど構っていられなかった。何しろ懸命に生きてきたのだ・・・。

真面目さと我々の素直さでしょうか。不可能を可能にし、経済は目を見張る発展を遂げたと思います・・。それこそ、復興と言う最高の「プロジェクトX」を成し遂げる過程で、日本は自分を少しだけ捨てたのかも知れません。

民族衣装・・・。これも今更・・ですね・・・。

サラリーマンの社会はどうでしょうか?どなたかの分析を読んだり、団塊の世代の先輩と話したりしたのですが、学生運動をやっていた彼らは、その後、過剰に社会に適応した・・・と言う話がありました。

つまり学生時代は共産主義に傾倒し、反体制を謳い、ゲバ棒を振った。デモでは機動隊に殴られ敗北感があった・・・。しかし、就職の時が来た。髪を切り、スーツを着て面接試験を受けた。学生時代の反動からか、反体制どころか社会に適応するとなると徹底して保守的に生きた。会社人間になり、組織に少々媚びた。

協調性を尊び、浮かない、出過ぎない、主張しない・・・そんな感じで生きた・・・・。と。

小生などが団塊世代の方を保身的だ・・・等となじると、良く「俺達のことを分からん奴が・・」と叱られました。でも、これも、生きていく知恵として、分かりますが、過剰適応?ではないでしょうか?

もっともこのような勝手な例示で、過剰適応=日本などと決めつけて言うつもりもありません。ただ、そう言う勝手な分析を考えますと小生は個人的に「腹に落ちる」気がしています。自分なりに納得できる気がしております。

分析的に正しいかどうかは恐縮ながら置かせて頂いて、これからどうするべきなのかな?が、かなり気になっております。

少々「日本らしさ」を主張したいなと思います。

Identityを主張できる日本。
理不尽には怒れる日本。
世界で通用する普通の国、日本。
日本らしい日本。
頑張り屋で、思い込みが激しく、口下手で、しかし素直で、人が良くて、水に流すけど自分のしたことも忘れっぽい日本。

今、アジアで問題にされているこのあたりの話も、実は日本の日本人の一生懸命な過剰適応の性質との引き換えの、「問題点」の表出のようにも思えてまいります・・・。

浅薄な話で恐縮でございました・・・。

09-21-05 15:45 | 先頭へ↑

企業感情の発想でビジネスモデルを・・・

小生の一方の本業はコンサルティングです。

コンサルといっても本業がコンサルではない事業実務の出身ですから、発想から新規事業構築、新コンテンツの開発実務などをお手伝いする仕事をしております。実務をご一緒するのはコンサルじゃない??かも知れませんので・・・厳密には(新規事業)開発業務の受託でしょうか。

今回はコンテンツ開発ではなく、新規事業開発における自分なりの考え方のお話です。

お客様の会社で、よく若手の社員の方などから「こういうビジネスモデルを考えましたがどうですか?」などと問われます。こういう時によくあるケースは、自分の会社だけは儲かるが、どう考えても相手方の企業が儲からない・・・または、よほど御人好しで無いと『うん』とは言わない企画になっていることです。

特に少々経験のある、商売が分かってきかけた層・・・30歳前後くらいの方でしょうか・・・。賢い若者の企画などは、「少々相手を騙している・・・」ものまであります。

また、ほかの症状では、「お宅の言うのは分かるけど、他の会社とやるのとどう違うの?お宅じゃなくてもできるでしょ?」と言われてしまうケース・・・つまり、自分とやってくださいの「必然性が弱い」ケースを良く見かけます。

そこで感じますのは、企業を相手にする場合は、なぜか普通の対人関係では有り得ないような、片方だけが旨味のある企画や、思い込みだけの「仕掛けの甘い企画」などを考えてしまいがちだな・・・と言うことです。

小生は企業間の取引を対人関係の構図に捉えなおす様に考えてきました。
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相手企業は異業種の古参企業で、重鎮だな・・・。最近の業績は横ばいだが、利益は堅調。きっと保守的な考え方だな。と言うことは「新しいことにチャレンジするより現状維持。前例重視かな」言ってみれば保守的な、しかめっ面のサラリーマンおじさんのキャラの会社だ。・・・それでもやって下さいとお願いするには本業隣接で少々の新しさ・・と感じてもらうことが必要だな・・・とか。

今回の相手はベンチャー系で業績絶好調だから、イケイケだな。こちらの存在意義や権利保護など万全でないとアイデアのみパクられるな・・・とか。レベニューのシェア概念などは理解してもらえるだろうな・・。しかしお行儀・商道徳などは無縁の若手経営者のキャラの会社かな・・とか。

対人関係で考えるようにすると、自分だけ儲かって相手が一方的に損をする話などは考えられませんから・・・。

例えば、大手企業さんに普通のコンテンツプロバイダーが、あるコンテンツ・プラットフォームでの提携を提案する場合などでは・・・、

  1. 相手はその規模からして、どういう考え方を持つか?持ちがち・・・だろうか?
  2. 相手はどの辺が誇りで、どの辺が弱みだろうか?
  3. 相手と自分の関係は、人と人の関係に例えたらどんな状況だろうか? おじさんと若者だろうか?
  4. 相手は自分をどう見るだろうか。自分たちは怪しいだろうか?
  5. 自分の企画は世間にはどう見られ、どういう位置づけだろうか? ・・・これが無くても世間は何も困らない?ほかの方法で置き換え可能か?など・・・。
  6. 自分の話しは相手が聞きたい話か?どうだったら聞きたいか?どういう話を持っていくつもりか?ただ聞いてくださいでは相手が困る・・・。
  7. 相手が一番気にするところは何か?リスクか?旨みか?

基本的にこちらからお願いして、会っていただく時に、相手先にとって、「良い話」でないと会っていただく意味が無いですからね・・・。

ですので事業企画では、「ウチはこの旨みがありますが、貴社にもこういう良さがあります」ので、いかがですか?としたいものです。

また、お付き合いいただく「必然」もじっくり構築したいものです。弊社考案で特許出願しております。位は当然として、権利関係でもこういうライツホルダーから許諾を得ていますとか、技術面では何処と組んでますとか、事業企画の「ウチだけです」「ウチが他社と比較しても良い選択でしょう」と言う磐石性は複数の仕掛けで固めて行きたいものですね。

なぜ自分とやって頂くのか・・・他社とは違う良さ「必然性」をじっくり仕込んで事業企画を完成に近づけて行きます。

一度、こういう観点で考えて頂くと、案外面白いかもしれませんです。

本来、こういうお話はもっと事例でご紹介したいのですが、コンサル先のお客様の秘密の開示になりがちですので、具体的な例を出しにくいので大変申し訳なく思います。

特に企業に感情があると言う考え方は、うまく行かない時、もめた時の解決の糸口にもなると思っていますが・・・。いかがでしょうか?

今後、この観点のご説明のしかたを、もうちょっと考えて見ます。

それから、ひとつ思い出したのですが、さっきの「レベニュー・シェア」これは懐かしい思い出があります。
revenue.jpg


多分、携帯のコンテンツの業界に、はじめにこの概念を持ち込んだのは小生だと思います・・・。と言うのは・・・遡りますが、15年位前ですね。この概念に出会ったのは・・・。

当時、小生は会社勤めで新規事業開発の担当で、衛星放送事業の構想を作れと言われておりまして、「番供事業」(通信衛星を使い全国のケーブルテレビ局に番組を配信する通信事業・[放送ではありません])を担当しておりました。

その頃、先達の企業さんに色々教えを請うて歩いており、自社の企画の構築の参考にさせて頂いておりました。

テレ朝系のCNNを配信している会社さんに可愛がって頂いたり、本当に新しいことばかりですが、頑張って勉強しておりました。で、レベニュー・シェアです。売り上げ金からの分配です。

これは老舗のハリウッド映画の衛星放送会社さんの放映権の支払い方式で、当時は感動する程の賢いモデルだ・・と驚いた考え方でした。放映権の処理をしている米国式の方法なんでしょう・・・こちらの業界の方にとっては珍しくも無いかもしれません。

放映権料は事前に支払うのではなく、その月の自社のお客様の売り上げの総額に、一定の割合を乗じて算出した金額を後清算する方式なのです。で、その計算したロイヤリティの総額を、その月にオンエアしたすべての作品の視聴率の多寡に応じてハリウッドの会社別に分配する方式でした。

この計算基礎となる視聴率は、すべてのケーブルテレビ局の積算ではなく、データサンプルとして採用している幾つかのケーブル局の中で、どの作品の視聴率がどうだったかを拾って、その割合を全国に当てはめて計算していました。

この方式、何が頭がいいって、支払いロイヤリティの売り上げに対する比率が一定割合で固定されている・・・とも言えるわけですから、原価の思わぬ変動などが無く、経営が安定します。また、支払いの原資料たる視聴比率は、まったくのガラス張りで、作品ごとに幾ら分配するかが大きく変動しても、自分の支払い総額(コスト)には変動が無いのである意味で、「気楽に・客観的に」払えるわけです・・・。

そもそも、この条件でハリウッドと契約できていることが「凄い交渉力」なので、誰にでもできるネゴシエイションではないし、大変な実力の会社さんなんだな・・・と考えたものですが、とても勉強になりました。

月日は流れ、小生も担当していたアニメ番組の配信事業から異動で離れ、また別の開発を担当しておりましたが、心の中で、いつか別の事業でも、レベニューシェアの発想で真のパートナーシップを築きたいものだ・・・と理想に思っておりました。

で、携帯コンテンツの開発の時、投資を応分に負担して、その分を売り上げからシェアする方法を提案したのでした。

この方法ですと、そのコンテンツ事業に対して発注先さまも真剣にならざるを得ません。売れるかどうかが直接、彼らの収益に連動します。言い換えると末端売り上げが即、回収可能かどうかに関わってきますので・・・。

納品したら終わり・・の単なる発注・受注の関係を超えて、本当にパートナーとして何とかうまく事業をやる関係・・にならざるを得ないですから・・・。

狙ったのは、「ハイ。納品して終わりー」ではなく、リスクをお互いにとることで、相手先さんのノウハウや考え方を真剣にぶつけて頂き、本物のシナジーを出すことだったのです・・・。

残念なのは、後日、世間ではこの方式が誤解され、下請けさんへの取引上の圧迫に変質してしまったことです。

レベニューのシェアの算出では企画の貢献度、開発資金提供の貢献度、開発実務の貢献度などを総合的に妥当に算定することが最重要で、場合によっては外注先さんのほうが取り分が多くなる場合もあるのですが、実際には交渉のツールになってしまい、開発費は払わないから売り上げの10%でやれ・・・にしてしまった会社さんが多いと聞きます・・・。

やはり企業は思想ですね・・・。
側を真似ても中身が「別」になっちゃいますから・・・。

後日談ですが、2年位前、ある開発会社の若手の優秀な営業担当者から言われた言葉があります。
「レベニューシェアなんて方式、初めてやった奴は本当に悪人ですよ。殺してやりたいくらいです」。
小生「それは、おそらく俺です・・・」と答えました。
一同「エーッ!!」、そして「シーン・・・」。
その後、本当はこういう思想だったのが、業界で変質して適用されてしまった話や、彼が受託した話の中での「ひどい事例」などで大変盛り上がり楽しいひと時??を・・・過ごしました。

こう言うのが「仏作って魂入れず・・・・」でしょうかね・・・。
「レベニュー・シェア」という言葉には、やや無念さ?を感じます。

09-06-05 15:50 | 先頭へ↑