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企画開発の話5(過剰性と感動)

日頃、目指していることがございます。

それは、良い意味の「過剰性」です。小生の単純かつ稚拙な仮説では、『人は過剰性に感動する』と思っているのです。

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過剰性が感動に・・・

ありきたり、普通、ちょっと良い、他より良い・・・・etc。もうユーザー様は普通の良さには、ウンザリなんではないでしょうか。

厳密に検討され、競合製品との比較から緻密に考えられた新製品のスペック。非常に高度だと思います。マーケティングはもちろん否定しませんが、一方でもう飽き飽きした感じがします。

1ユーザーとしても、なにか「嫌な感じ」です。

何でここまでやるの?とか
この会社、アホじゃないか?とか
マニア・オタク?とか
・・・そう言う会社になりたいと思っています。

商いって、商売って、仕事って、確かに損益ですが、利益ですが、そうなんですが・・・それだけじゃないと思っているのです。

利益が行動の目的ではなくて、○×の行動の結果としての利益を目指しているはず・・・です。企業にも『夢』がある・・と思っているのです。

本来、会社の業績は、企業の『夢』に共感するお客さんが、製品を買って下さって、会社を支えて下さる感じ・・・。これが理想なんではないでしょうか?言い換えますと、ある会社の製品に込めたその会社の人たちの『夢』を買って下さる・・・。

会社は、お客様の喜び・自身の夢のために邁進し、世間に過剰と言われようが、夢に向かって納得の行くまで開発する・追及する・・・。

そんな、ひた向きな開発行動などが感動を生む程の「過剰性」を実現すると思います。

すげえでっかい。とか
すげえ精巧にできてる。とか
馬鹿らしいほど考えられてる。とか
驚くほど軽い・小さい。とか
こだわっている。とか

ある意味の常識を超える『異常値』に小生は感動します。

考えて見ますに、人間の感動はそうなんじゃないでしょうか?
新しいビルがでかくて、高くて・・。
美しくて・・・とか。

またお芝居などでも迫真の演技に感動した・・・とか、何か自分の辞書にある水準を大きく越えるとビックリするし感動するのではないでしょうか?

そう言えば、昔、小生の大学生の頃、近所の中学生の男の子にあの映画を見たら凄く良かったから、見てみたら・・・と言われ、素直にそうかな?と見に行きましたら、全くつまらない、あくびの出る映画で、彼の評価との落差に驚いた事がありました。

その時、多分あの子は初めて自分で映画を選び、外出して映画館で見た映画だったので、経験値が無いために、どういう内容でも映画に行く行動に満足感もあり、「良かった」、「面白かった」になってしまったんだろうな?と推察したものでした。

その意味では、送り手は水準を意識しないがごとくの心意気で追求するのですが、受け手には常識・水準と言うものがあり、それが良いほうに大きく期待を裏切られた時に感動する・・・と言う事になりますでしょうか。

しかし、繰り返しますが、送り手の行動規範としては、この「ユーザー様の水準」を意識していては、越えられない・・・。

姑息に計算づくでやっていては、それが匂ってしまうんだと思います。
純粋に追及してこそ、感動し購入して下さるんだと思います。
ユーザー様の目は肥えています。市場は甘く無いと考えています。

水準を少し越えよう・・・これには飽きていますから・・・。

では、企業はこれができているでしょうか?
実はかなり難しいのではないか?と思います。
・・・なぜこれが難しいのでしょうか?

このことの解明が小生の課題と思っております。

企業の『夢』の共有の問題でしょうか?
企業内の個人の利害・保身の問題でしょうか?

ひた向きに追求する事に「ノイズ」が入るから、できないのでしょうが、なぜ?なにが?ノイズの原因なんでしょうか?

こう言うことに真面目に取り組まないと、会社の発展は望めないのではないでしょうか?

リスクの問題、会社の中の個人の問題、複雑系です。

答えは見つかっておりませんが、今、小生が考えておりますのは、
『アホな会社でいたい・・・』

これだけであります。

06-27-05 12:04